農業には「幸福」を共有できる
高度な社会性がある

食は人間が生きるためには必要不可欠である。食の中でも農業はもっとも川上にある源流である。好む好まざるとに関係なく、源流は大河へと続く。「社会性」というのは他産業と比較にならないのである。それなのに農業は社会性を失いつつある。農業によって共感や共創、共生、共益は作れなくなっている。絆もなければ助け合いも少ない。田舎の片隅で細々と寂しく農業をやっている印象になっている。個人的にはそれがいいという人もいるかもしれない。でも、社会性はない。テクノロジーの進化はどこに向かうのか。人間を幸福にするものなのか。世界超一流の知性を持った人でも確実に言えるのは、格差と分断はさらに拡大すると予測する。人を幸福にするとは反対方向ではないのかというように感じられないでもない。

では農業がどうなのか。「思いやり、やさしさ、いたわり、助け合い、あたたかさ」テクノロジーでは得られないものばかりである。これまでは農業がとても儲かる農業にできる可能性があるということを中心に説明してきた。それを延長させてしまうと、お金を得るための道具になってしまいかねない。金融工学のフィンテックと同じ種類の仕事になってしまう。ただ、業態が違うだけになってしまう。政治家ですら、そういう取り扱いをしているように思われる。そのような取り扱いをすると「社会性」は希薄になってしまう。

今世界的に問われている課題は人類の未来である。特に環境問題は人類も未来が存亡の危機にあることを具体的に暗示している。温暖化にする異常気象は危機を実感させるものである。それではその根底にあるものは何なのか。人間の幸福とは何かが問われているのである。実はこれがもっとも重要なテーマである。農業をイノベーションすることによって、グレートリカバリーをしたいのである。そのための5年で6億円の売上げ 純益4億円なのである。人間が本来求めているもっとも大きなニーズに気がつけば、農業のマーケットニーズとポテンシャルは計り知れない巨大なものである。そこにこそ農業でしか得られない共感、共創、共生、共益の社会性がある。